「名刺はその人の分身である」と、社会人になって最初の研修で教わった。 所属、肩書、名前、連絡先などが記され、自分のことを知ってもらえるための大切なツールであると。 だけど、仕事で何十枚、何百枚と名刺交換をしていくうちに、モヤモヤしてきた。 帰属性でしか自分を知ってもらえないって、なんて窮屈でつまらない社会なんだ…と。 じゃあ、「帰属性を全部取っ払った自分って、どう表現できるだろうか??」 そんな問いからスタートしたのが「面刺」であった。 「面刺」とは新しい自己表現ツールだ。 名刺が社会的機能や役割を表すものとしたら、面刺はその人そのものを表すものというイメージ。 自分が何者であるか認識することはとっても難しいことだ。 多くの人は、社会的機能や与えられた役割でしか自分を語ることができていないと感じる。 それらを剥ぎ取っていくことで、新しい発見があるのではないかと。 自分にこんな一面があったのか、こんなことを考えていたのか、こんなものを持っていたのか…!と。 そしてその発見から何か次の行動へのきっかけになるのではないかと考え、ワークショップを開いてみた。 滲む後の大きな変化「無職という冒険」 このイベントの2か月後、約3年半働いた会社を辞めて半年間という期限付きの「無職という冒険」を始めた。 会社を辞めたきっかけは複数ある。大量生産への疑問、歴史ある大きな企業の危機感のなさ、将来への不安、窮屈な環境…そして、ずっと会社に尽くしてきた父親の鬱宣言。会社で働いた先にそんな未来が待っているのかと思ったら苦しくなった。そんなモヤモヤしていた自分を救ってくれたのが、過去の引き出しや、今を豊かに生きる人々であった。 「豊かさって何だろう」という問いを学生時代にディスカッションしていたことがある。未だにその明確な答えはわからない。でも、自分の軸を持って道を切り開いている人たちに豊かさを感じられた。縁のない地域へ飛び込んでいたり、生業を複数持って生きていたり、哲学を探求していたり、自由なお母さんになりたいと独立していたり、脱サラを楽しんでいたり… 生き方って一つじゃないし、今あるものに当てはめて選択する必要はない。生き方なんて自分で作っていけるんだ。 水のように柔らかく生きる 昔の引き出しの一つ、学生時代に参加したカナディアンロッキーでの環境教育プログラムで学んだ言葉がある。大自然の川辺(カヌーの川下り中)でカナダの先生が語っていた言葉だ。 老子の「上善若水」(理想的な生き方とは「水」のようであることだ) 水は柔らかい。だけど、硬い石を丸くする力がある。 水は形がない。だからこそ、形にとらわれず自由自在にどんなところにも行ける。 「水のように柔らかく生きる」これを人生のテーマに生きていきたいと思う。 水のようにカタチにとらわれず、柔軟に、強く生きていきたい。 固定概念にとらわれず、常に変化できる人でありたい。 水で硬い石を緩やかに削るように、人に何かきっかけや影響を与えられるような人になりたい。 そんな生き方をしていきたい。 今興味があることは「空き家を活用した空間・コミュニティーづくり」「面刺を通じて自己表現の場づくり」であり、鋭意模索しているところだ。
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